私が大学生の時に日本中にインターネットが広まり始めた。まさにインターネット創世記に大学という知的時代を過ごしてそれに非常に影響された。その頃はコンピュータを買うお金がなく大学のできたてコンピュータ室や図書館に配置されたコンピュータを使ってインターネットにアクセスしていた。コンピュータ室に入り浸っていたものである。その頃の発見や衝撃は今でも忘れない。それがほんの十数年前のことである。
ネットの人口が増えるに従って大手メディアが大衆の情報を牛耳る力が弱くなってきているような気がする。つまり人々はテレビによって流される情報を疑い始めネットでいろいろ調べるという活動が一般的になりつつある。かつては情報と言えばテレビ、ラジオ、本など権威のある側が大衆を対象に一方通行的に情報を供給するのが当たり前だったが、今では自分のような一市民が不特定多数の人々に向けて情報を発信できるし、逆に大手メディアの情報統制や利害というフィルターを通さない情報に触れることが多くなった。
これは情報流通の革命と言えると思う。ネットが普及してからこのことについては当たり前のことなので今更と思われる方も多いかもしれないが、ネットが及ぼす現実社会への影響は意外とゆっくりとしたものなのではないだろうか。
大手既存メディアではネットの否定的部分を大きく取り上げる傾向にある。例えばネットを通して自殺者を募って集団自殺をしただとか、出会い系サイトで知り合った女性が殺されただとか、肯定的なことはあまり聞こえてこない。それは大手メディアがネットが脅威だと感じている証拠ではないだろうか。
大手既存メディアの利害や情報統制のフィルターを通さない情報が入ってくるというのは真の意味での政治活動ができる場でもある。オバマ氏はこの力をいち早く理解し、それを最大限に使って大統領選を制したのである。
しかしこんな声も聞こえてきそうである。「ネットで流れている情報なんてすべて信用しちゃだめでしょ。」確かにそうだ。入ってきた情報は鵜呑みにしてはいけない。だからといって大手既存メディアが流す情報をすべて信用していいと言うことにはならない。どの情報を信用するかは個人の能力に左右されてくるわけだが、選択肢が大変増えたということは社会にとって大変有益なことではないだろうか。
こうしてアメリカという外国から日本語で発信することができているという事実はその恩恵を享受している良い例である。

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