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国旗・国歌、嫌いなら辞めよ

上田埼玉県知事が「そもそも、日本の国旗や国歌が嫌いだというような教員は辞めるしかないのではないか。そんなに嫌だったら辞めたらいい」と言ったそうだ。

それに対して共産党は「思想と良心の自由を定めた憲法19条の規定をないがしろにするもので、700万県民の代表にふさわしくない危険な発言だ」という。

私は20代前半は非常な左翼的思想、もといサヨク的思想の持ち主だったので教師に成り立ての頃はそんなのに憧れたこともある。それを実行するほど切羽詰まってもいなかったし、そこまで考えてもいなかったのだが、小・中・高で日本は世界に対して悪いことをしてまだ謝罪をしていないと(日教組の)社会の先生に習ったので、素直で純粋まっすぐ君な自分は日本は悪い国だと思っていたのである。しかも今は他界された小学6年の時の担任の先生が、君が代というのは天皇を中心にした世の中を永遠に願う歌で民主主義にふさわしくないとおっしゃったので、ああそうか、君が代ってよくない歌だし天皇ってよくないんだとずっと思っていて日本が悪い国だと思っていた。そういう考えが20代前半でピークを迎えていたように思う。

教師とは私立を除いてすべて県職員である。私立だって県から私学助成金というお金ももらっている。県職員であるということは公務員で雇い主は県、ひいては国である。つまり国民の税金から給料をもらって仕事をして生活をしているのである。国というものがなければ彼らの仕事は成り立たない。その中に国旗・国歌に敬意を払わず国歌斉唱の時に起立もしないというのは許されるか許されないかという議論だ。

これを雇い主が一般企業だった場合に置き換えてみよう。例えば朝礼の時に社歌を歌う会社があってそのときに歌わず起立もしない会社員がいたらどう思うだろうか。それは普通に考えてもあり得ないことである。そういう人はクビにされても文句は言えないのではないかと思うのだ。

サヨク思想時代の自分も含めてこのような人たちは個人の自由や権利のみを主張して義務をないがしろにしている戦後民主主義平和教育の申し子である。アメリカは法と秩序という理想を常に詠い、個人の権利を守らなければ人権侵害だと声を大にして言う。戦後の日本はあまりにもアメリカナイズされてしまって長い間築いてきた日本人らしさを失ってしまったような気がする。

最後に、宮沢賢治の有名な詩で「雨にも負けず」というのがある。その中に個人主義に洗脳された多くの現代の日本人が忘れてしまった社会や国に対する貢献の精神を垣間見ることができるのである。

 

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

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